チ。地球の運動について 魚豊 8巻

シュミットさんは開始早々死んでしまった。まあフラグは立ってたし、やむをえまい。しかし、自然論的な考え、神が自分の運命もすべて決めている的な考えから、最後は自分の意志で、犠牲になった。それゆえ「信仰が揺らいでいる」といったのだろう。

 

久々にアントニとノヴァクが邂逅する。アントニは第二章では最悪の印象であったが、やや考え方が柔軟になっている様子。それか第一義が信仰よりも金になっただけか。。

そしてアントニの口から衝撃的な言葉。地動説を異端として拷問し殺害したのは、アントニの父親の管轄であった場所だけで、それもノヴァクだけだった?

歴史的なことは全然わからないので恥ずかしいが、異端で死刑されたがそれでも地球は回っていると言った人はいなかったっけ?コペルニクス?違った、調べたらガリレオガリレイだった。それも異端審問の際だったとのことで、この時代はこれが普通なのかと思っていた。ずいぶん局地的な話だったのか??

アントニは「君たちは歴史の登場人物ではない」とノヴァクに告げる。人生を否定されるような言葉。アントニが殺してきた地動説関係の異端者の名前をすべて覚えていたのは意外だった。死ぬ間際にラファウが現れる。

ノヴァクは死んだが、やはり娘ヨレンタの最期に少し気づいていたんだろう。これはノヴァクにとって救いだったんだろうか。崩れ行く教会の中で自然の日の光が、ドアの影で十字架となりノヴァクの上にのびる。

 

そして結局ドュラカも死んでしまった。

 

そして最終章の舞台は、1468年ポーランド

1巻では15世紀初頭P王国とのことだったが。

ラファウ君が先生になって再登場・・・しかし、知のためなら人が死んでもかまわない、ある意味、1巻のラファウ君を極端にした性格の人(たぶん別人)になってた。こういうキャラを出してくるのがまたひどい作者。

最後、意味のあるようにアルベルト・ブルゼフスキという名前が示される。今までの登場人物の血縁かと思ったらそうでもなさそうだし、ぐぐってみると、天文学や数学の先生、生徒にコペルニクスもいたのか。

 

最終ページの「?」

これだけ見ても何もわからんが、今までの数十年の話を経てからの「?」は非常に深い。

いい漫画でした。

人にすすめたいが、多少ぐろいところもあるから、人を選ぶかな。ヒストリエとか好きな人にはぜひすすめたい。

チ。地球の運動について 魚豊 7巻

ダミアン神父、4巻あたりに登場した新人異端審問官の一人?名前を探したけど出てこなかったけど、そうかな。と思ったけど、最初1巻のあたりでノヴァクさんと一緒に仕事をしていた人か。

 

そして、ヨレンタさんだけでなく、ノヴァクさんも生きていた。アントニをうらんでいるかと思っていたが、うまくやったみたいで、娘をそそのかして火刑の原因となった地動説の方を恨みながら酒浸りの毎日を送っていたようだ。

そして、地動説の恨みのために、なぜか本を求めている異端解放戦線のボスを殺すために、もう一度立ち上がる。これだけで悲劇的な最後しか想像できないのだが。

さらに思ってたよりも悲劇的な最後であった。せめてもう一度お互いを認識してからどちらかが死んでしまう話かと思ったが、そして今までの大概の漫画や映画ではそういうストーリーだと思うのだが、この漫画では徹底的に冷酷で人間は物語を成り立たせる一つの駒にすぎなかった。歴史もそういうものかもしれないけど。そしてこの漫画の登場人物自身が、人間とは先人の知恵を次世代に受け継ぐもの、歴史自体が大事と認識しているようである。

 

何かを前提にしないと、論理が立てられない。そこに人間の理性の本質的限界がある。

 

最後の方で6巻の最初の回想シーンにいてた子供はシュミットではなくフライで、しかも裏切り者なことが判明。フライが裏切者なのは何となく予想できたが、まさかこの少年がフライだったとは。見せ方うまい。普通にだまされた。

 

コインで誰を逃がすかを決めるシーン。隊長が運命であったはずの表を裏に変える。これは自然への抵抗?情?またその決定に異議を全くしない部下たちもかっこいい。

次は8巻、もう最終巻か。

チ。地球の運動について 魚豊 6巻

5巻から25年を経た。

世界としては、C教正統派の権威がだいぶ落ちてきて、異端派解放戦線があちこちでテロ活動のようなことをしているよう。

4巻の最後に一番タチの悪かったアントニ神父がまた登場。5巻では助任司祭だったが、ノヴァクを追放して位は上がったのだろうか。

 

新たに賢そうな女の子、ドュラカが登場、資本主義を唱える。そして神の存在は信じない。

こちらも新たに登場した異端派解放戦線のシュミットも聖書は信じないという立場だったので、神を信じないのかと思ったが、神は存在する、が神の創った自然を崇拝するだけで、宗教は論理的だからこそ嫌い、神の動機など人間の知性でわかるはずないという立場。

 

アントニ神父も、シュミットも、本を追い求め、たまたま本を持ったデュラカもまたその流れにかかわっていく。オクジーとバデーニも本人は死んだが、名前としては語り継がれているようで、何となくよかった。

5巻の最後のクラボフスキさんは、やはり25年もたったので登場してこないが、この本が存在するということは、頑張ってホームレスの人たちの入れ墨からオクジーさんの本の内容を復元したんだろう。実際の考え方や資料は残せなくても情熱、感動を、後世の人に託せば世の中は変えられる可能性がある。その信念の流れが見れた。

 

最後、やっぱり生きてたヨレンタさん。だからシュミットも、オクジー、バデーニの名前を知ってたのか。これからうまく予定がすすめばいいなと思うが、シュミットとデュラカも考え方が違うようで、またひと悶着ありそうな感じ。

 

次7巻

チ。地球の運動について 魚豊 5巻

5巻でまず驚いたのは、まずパデーニさんが逃げ切れなかったこと。

オクジー君は残念ながら死んでしまうかもしれないが、それでもパデーニさんは何とか逃げ切り、ヨレンタさんかもしくは他のバディをみつけて研究を発表する流れかと思っていた。しかし全く違ってた。

最初のオクジー君の夢に出てくる塔はバベルの塔ってことだろうか。

 

また、オクジー君を拷問するノヴァク。1巻の最初のシーンがここにつながってるとは。1巻を読むころはこれが全くわからず、ノヴァクの髪の色も違うようにみえたので、単に物語始まる前の1拷問シーンかと思っていた。ここで繋がらせるとはすごいな。どこまで全て考えて書かれたんだろう。

 

今更だが、タイトルの『チ』。当然、地動説、あるいは地球の「チ」だと思っていたが「知」でもあり「血」でもあるのか。

 

アントニの思惑で、ヨレンタが死んだと思わされるノヴァク、顔はみえないが体をふるわせて泣くノヴァク。本当にこういう描写、昔はかわいそうだな、くらいで済んだのに、この年になってくると胸が痛すぎる、そしてこういう描写がある話ってだいぶ多いんよな・・。ヨレンタさんは生きてるのだから、この先、どこかで何とか再会してほしい。

 

そして、最後、ちょっとだけ出てきてたクラボフスキに、この後は託される。プリズンブレイクなみの方法で。

 

次は急に25年後のようだ。次6巻。

チ。地球の運動について 魚豊 4巻

地動説を完成させたときの「不思議ですね、それを知っているのも私たちだけというのは」という、オクジー君やヨレンタさんの言葉。そんなこともうこの時代にはないだろうと思っていたが、どっかの研究者が、研究していて面白いのは、研究が完成すると直前に「この世界のこの事について今知っているのは自分だけかもしれない」と思えるその興奮、って言ってたのを思い出した。

 

そして、4巻のハイライト。ヨレンタさんの父親がノヴァクだったことがわかるシーン。確かに3巻で実家に帰ったヨレンタさんが父親と話すシーンで、不自然に父親の顔が描かれなかったのが少し気になってた。しかし、こことノヴァクを結びつけれなかったな。1巻から、ノヴァクが娘がいるって話はずっとしてたのに。

 

最後のほうはオクジー君の名言多数

自らが間違っている可能性を肯定する姿勢が学術や研究には大切。第三者によるそれが許されないなら、それは信仰である。

それに対するバデーニさんの反論。それを許せば、学者は永久に未完成の海を漂い続ける。で、オクジー君の返し。間違いを永遠の正解と思うこむよりましでは。

最初は学もなく、自分の選択も他者にゆだねるだけだったオクジー君の成長が素晴らしい。

 

しかし、4巻の最後は、オクジーが死んでしまう雰囲気がびんびんに出てしまっている。上の名言すら、フラグにみえる感じ。ちょっと毒舌バデーニさんとのバディ感がよかったのだが。。

 

次5巻

 

チ。地球の運動について 魚豊 3巻

新たな登場人物、女性の研究者ヨレンタが登場。

1章の時とはやはり世界観が変わっていて、天動説が地球が一番、地球が世の中の中心だ、ではなく、この世の中は底辺、だから醜くひどいことばかりが起きる、といった考え方に変わっている。

主人公たちは、そんなことはない、この世の中も希望に満ちている、美しいものも多いのだ、という感情的な部分もあり、単に理性的であったり観測結果だけから天動説をとなえているわけではなさそうである。

また、天動説をとなえる側も、単にC教職者というわけではなく、研究者。その中で時々もしかすると自分が生涯をとして研究してきたものが、前提から間違っており、全く無駄だったのではないかという恐怖をもちながらも、それでも天動説をとなえている、間違っていればさらに優れた天動説を導くための研究をしている、という感じ。

満ちている金星を目にして「過去の積み重ねの先に答えがないなら、真理にとって我々は無駄だったのかもしれん」と言うピャスト伯はその恐怖、悲しさを表してるのだろう。

 

あと、この巻でよかった言葉、ヨレンタさんの「文字は、まるで奇跡ですよ」という言葉。確かに文字を読める人と読めない人がいる時代では余計にそうだったんだろう。自分が今いる時代、場所とは、異なった時代、場所のことを知れる、この時代、場所から超越でき抜け出せるのは、文字があるからこそ。

チ。地球の運動について 魚豊 2巻

1巻の最後に登場したのは、1巻の主人公と思われた少年と全く無関係の男であった。

代闘士という、決闘を申し込まれた貴族の代わりに戦うことを生業とする男性が主人公のようである。ここからが第2章の始まり。第2章って見開きで書くところもかっこいい。

第1章で登場してた審問官はまた登場する。1章の少年の死が、この人に何か影響していたのかとも思われたが、みる限り仕事も面倒にこなす、異端者を殺すことにためらいのない、特に変わっていないキャラクターとなっている。

ただ、世界観としてはこの10年で変わったようで、1章の時は地球はすべてのものの中心になる、特別に作られた場所である、という世の中の考え方であったが、2章では天動説には変わりはないものの、地球がすべてのものの一番下に位置する場所で、天は崇高であり地上は最底辺、汚れた場所として作られた、という考え方に変わっている。

 

主人公の男性は、少年のころに、この考えを神父にたたきこまれ、空をみると、人を蔑んでいる目がみえるようになってしまった。また何に関しても、どうせ無理だと思っていたら期待外れでその後ショックをうけることもない、選択ができず、先輩にすべての選択をお願いするような男性。

 

それがその先輩から死ぬ直前に託された思いを受け取り、異端者の神父バデーニのもとに行き、1章の主人公ラファウがのちの世に託した文書をみつけるところで2巻は終了。

次3巻。